2009/04/30

歩き四国遍路 32日目

平成19年5月4日(金) 天候晴れ後曇り時々雨 第五十四番~第五十五番 歩行距離28km 笑福旅館泊

 よく睡眠を取り、体調を整えて出発。浅海まで一つ峠を越え、海岸線に出て、今治市に入る。
 次の目標の遍照院は、瓦で有名な菊間町にある。瓦の町の通り、瓦工場が並び、遍照院の門には、大きな鬼瓦がある。
 雨が降り出したので雨具を着て歩く。何もなさそうな道を歩いて、昼食をとる所を探していると、大西町に入った辺りで、うどん屋さんを発見。こなかなかおいしかった。食事中に、雨が本降りになっている。

 雨が降ったりやんだりする中を歩き、延命寺に到着。つつじの花が咲き始め、奇麗である。
 延命寺からは、遍路道で大谷霊園という所を通り、今治の町に入る。先にお宿へ立ち寄り、荷物を置かせていただく。そこから南光坊へは300m程である。南光坊は境内に駐車場があり、おかしな感じがする。

 この日のお宿は一見普通の日本家屋である。お宿の方が快く出迎えてくださる。この日、内子町の宿で一緒になった、私たちの地元に姉がおられる方と、同宿となった。この日で一旦お遍路を終えるとのことであった。


遍照院山門                        延命時参道

歩き四国遍路 31日目

平成19年5月3日(木) 天候晴れ 第五十二番~第五十三番 歩行距離16km 太田屋ビジネス旅館泊

 朝6時半に椿湯へ行くと、開店前から多くのお客さんが待っていた。昔と変わらない湯船につかり、この日に備える。
 松山市内は3つのコースがあり、乙コースを歩く。懐かしい町並みである。市街地を抜けると、田んぼの中を歩き、太山寺の一ノ門に到着。そこから本堂まで500mあり、本堂の手前に納経所がある。

 円明寺では、お接待所が設けられ、パンやジュースをお遍路さんに振舞っていた。ありがたく頂戴して、それを昼食として休憩する。小学生くらいの女の子からも、缶ジュースのお接待を頂いた。感謝。
 この日は二人とも体調が悪く、JR予讃線光陽台から伊予北条まで電車を利用した。母が唯一歩くことができなかったことである。本当は23km歩くところを、16km程になってしまった。

 この日のお宿では部屋のユニットバスを使わなければならなかったのだが、湯が出ない。店の方は、いずれ出るからと、出し続けているが、湯が出ない。結局、宿の広い浴室を使わせてもらった。なぜ初めから使わせてくれなかったのだろう。
 この日は二人とも疲れていて、風呂の後眠ってしまい、午後7時に電話で、夕食はできている、と起こされた。この辺りは鯛飯が有名で、鯛釜飯をいただいた。


太山寺山門                         円明寺境内の中門

久しぶりの海は瀬戸内海                 霊場養護院(杖大師)

歩き四国遍路 30日目

平成19年5月2日(水) 天候雨後曇り 第四十六番~第五十一番 
歩行距離30.6km BHさくら泊

 この日は第四十九番辺りでの宿泊を考えていたが、結局道後まで行くことになり、歩行距離、巡拝寺共に増えてしまった。そのため、朝食なしの6時に小雨の中、出発。一つ目のコンビニで朝食を済ませ、国道33号線を上っていく。これを上りきると、三坂峠を下り、松山市に入る。標高710mから初めは急な下りで、しばらく行くと、段々畑を眺めながら、緩やかな下り坂を、延々と歩く。

 10時に浄瑠璃時に到着し、12時前に西林寺に到着。門前のうどん屋さんで昼食をとる。ここまでで20km歩いてきたので、なかなかのペースである。
 繁多寺で、ウエストポーチという軽装で歩いている方と出会った。話してみると、松山の方で、この日から歩き遍路を始めたとのこと。歩ける時に、歩けるところを歩くことにしているらしい。

 繁多寺の次はいよいよ第五十一番石手寺、ゴール!という気持ちで参拝する。この寺の裏に小学生時代を過ごした家がある。その家を見に行き、昔はお遍路さんのことなど気に掛けていなかったなと思った。
 ここで私は満足してしまったのか、足が疲れたと、私だけ道後温泉までバスを使った。ここで遍路をやめるかどうか、考えていたが、徳島から愛媛松山までほぼ歩いて来たのである。最後まで歩くぞ。
 夜は松山の伯母の家族と一緒に夕食を取り、宿に戻ったのは夜10時になってしまった。


浄瑠璃寺境内                        石手寺境内







道後温泉(写真のみ^_^;)

2009/04/26

歩き四国遍路 28日目

平成19年4月30日(月) 天候晴れ 第四十四番 歩行距離23km おもご旅館泊

 出発して一つ目の休憩所で、顔見知りのお遍路さんたちと出会う。その中に、ほら貝を持ったお坊さんがいて、ほら貝を吹いてくれた。生で聞いたのは初めてだが、山に響いていた。

 この日は、農祖峠遍路道を歩こうと計画していたが、私の足の調子が悪く、国道380号を歩くことにする。何もない道で、やっと食堂を見つけ昼食にする。そこには、やはり顔見知りのお遍路さんたちが、休憩をとっていた。そこで、ドクターに膝を冷やしてもらい、基本的な処置を思い出させてくれた。さすがである。少しのことで、膝が違うのである。反省。
 そこからは、ドクターに言われたように、安定した歩行を心がけて歩く。距離がそんなに長くなかったので、お宿には14時に到着。荷物を置き、大宝寺へ、参拝に行く。四十四番、四国遍路札所の半分である。

 おもご旅館は、明日四十五番打ち返りで二泊する。古いお宿で、大正の間という歴史のあるお部屋を見せていただいた。
 ドクターとは、これからも会うと思っていたので、お札の交換をしなかったが、結局この日以降、お会いすることはなかった。お世話になりました。


三島神社からの遍路道                   大寶寺、札所半分きました。 

歩き四国遍路 29日目

平成19年5月1日(火) 天候雨後晴れ 第四十五番 歩行距離22.4km 
おもご旅館泊

 この日は文句なしの大雨。この遍路一番の土砂降りだった。始めに道を間違え、一旦大宝寺まで戻り、山道の遍路道へ足を踏み入れる。容赦なく雨が降り、足元がぬかるんでいる。靴はなかなかの防水機能のおかげで、あまり濡れなかった。

 いったん車道に出て、再び遍路道へ入る。このころ雨はやや小降りになっていた。八丁坂の登り口に到着(写真は八丁坂頂上)。600mの距離で、標高160m上がるのである。どうせ下らないので、上ることにする。
 上りきると、尾根伝いに岩屋寺へ向かう。この遍路道を行くと、三十六童行事や弘法大師が修行した逼割禅定の入り口の前を通るので、昔を顧みることができる。岩屋寺自体も岩山の中にあり、山全体が御本尊とされているため、神秘的である。

 帰りは、車の時と同じ「表」の参道の階段を下る。階段は266段あり、車遍路で来てもこの階段は上がらなければならず、一番の難所といってよい。

 この日は計画通り、国民宿舎古岩屋荘に立ち寄り、昼食と温泉を楽しむ。昼食は高知から一緒に歩いてきた女性にお接待していただいた。感謝。ここの温泉はぬるぬる系で気持ち良い。

 帰り道はすっかり晴れていて、道端には山菜や高原植物を見ることができ、この辺りの標高が高いことがわかる。
 この日お宿では、1日目の極楽寺で同宿になったご夫婦が再び同宿となった。私たちのことを覚えていてくださり、声をかけてくれたのだ。私たちより1日遅れで、ずっと歩いて来られたようである。



逼割禅定入口                       八丁坂頂上遍路道合流地点















岩屋寺の荘厳な岩壁

2009/04/20

歩き四国遍路 26日目

4月28日(土) 天候晴れ 第四十三番 歩行距離30km ときわ旅館泊

 この日は出発してすぐに、歯長峠というなかなかの難所がある。そこを下ると、肱川沿いに明石寺まで歩く。その途中、名古屋の男性と出会う。しかし、高知まで一緒に歩いていた方たちとは、会うことはなかった。
 明石寺からは国道56号線を歩き、この日二つ目の峠越え、鳥坂峠に入る。下りの途中で地元の方が、近道を教えてくれた。
 大洲の町に入ると、宿まで4kmほどだが、二つの峠越えのため、左膝、足の裏まで痛くなっていた。なんとか宿に到着、風呂の順番まで時間があるので、薬局まで歩き、湿布などを購入。左足の裏には、せっかく治りかけていた水疱の中に、新たな水泡ができてしまっていた。

 ときわ旅館さんは、3代目の若旦那さんとご家族でされていて、ほっとできるおもてなしのお宿である。旦那さんは母のことを覚えており、以前利用した同じお部屋を用意してくれていた。感謝。10数名が同宿であったが、ほとんどが歩きの方で、5回目の歩き遍路の方、ほら貝を持ったお坊さんご夫婦、連休を利用し区切りで歩いているご夫婦、ドクターもおられた。

明石寺山門                          鳥坂峠遍路道

歩き四国遍路 27日目

平成19年4月29日(日) 天候晴れ 歩行距離31km ふじや旅館泊

 ゴールデンウイークに入り、なんだか歩き遍路さんが多くなってきていた。コンビニでも、弘法大師が一夜を明かした十夜ケ橋でも、いつもより多くのお遍路さんに出会う。

 内子町に入り、内子町の観光客に巻き込まれながら、町を歩く。以前来たことのある道の駅は、休日のためか多くの人でごった返していた。まばらにお遍路さんも見かけ、ドクターがいたので一緒に昼食にする。
 そこからは、小田川沿を歩く。のどかな山道である。なにもない遍路道だが、顔見知りの方を含め、多くのお遍路さんたちと出会う。とても元気が出る。

 途中で、農祖峠遍路道とひわた峠遍路道への分かれ道に辿り着く。私たちは小田に宿泊するため、右へ進む。小田にも道の駅があり、名古屋の男性と出会う。足は少し回復している様子で、今日はもう少し先へ進み、適当な所で野宿するとのことである。
 私たちは、夜はスナックも兼ねているという旅館にお世話になる。広い旅館で、静かでゆっくりすることができたが、宿泊客は他に60代くらいのご夫婦だけだった。

歩き四国遍路 25日目

平成19年4月27日(金) 天候晴れ 第四十一番~第四十二番 歩行距離28.3km 民宿とうべや泊

 出発してしばらくすると、長さ1.7kmの松尾トンネルに差し掛かる。山道の遍路道は倍の長さになるため、トンネルの中を歩く。トラックがばんばん通り、体に悪い。後で分かったことだが、旧国道の遍路道は整備しなおされていて、歩きやすくなっていたとのこである。トンネルは所要時間27分のところ、20分で通過する。

 宇和島市内を通り、JR宇和島駅あたりで道に迷ってしまい、地元の方に道を教えてもらい、修正する。JR予讃線沿いの県道57号線を歩く。なだらかな上り坂で、膝にくる。
 龍光寺は静かな田園地帯にある。次に佛木寺までは3kmもなく、ゆっくり歩く。佛木寺で、名古屋の男性と再開、足を痛めながらも、歩き続けているようだ。

 この日のお宿は、庭にタヌキが来ることで有名である。確かに、夕食中に私たちのお残りを貰いに、5匹くらいタヌキが庭にやってきたのである。

1710m松尾トンネル出口             龍光寺は神仏分離令により、石段の途中にある。

歩き四国遍路 24日目

平成19年4月26日(木) 天候晴れ 歩行距離25km 新橋旅館泊

 国道56号線を歩いていると、観光地のため、この辺りには結構お宿が多かった。歩き始めて1時間くらいすると、トイレ休憩が必要になるが、この道沿い、お宿はあってもコンビニがなく、結局喫茶店でコーヒーを飲み休憩をとる。ゆで卵のお接待を頂く。感謝。

 この日も峠越えがあり、柏坂峠の清水大師で待ち合わせ、それぞれのペースで歩く。天気が良いと、日中かなり気温が上がっている。山道を歩いていると、落ち葉の中を、カサカサと何かが動く音がよくする。自然と上りは、早歩きになってしまう。
 清水大師には小さな祠があり、昔を偲ぶ。そこからは、つらい下り坂。途中の山の中の休憩所で、昼食をとる。

 下りきると、新しい遍路小屋に辿り着く。遍路小屋プロジェクトというのがあり、その20何番目かのものだそうだ。お宿はもうすぐだったが、休憩する。こういう所は、本当に好意でされている。感謝。

 芳原川沿いの遍路道を歩き、じきにこの日のお宿に到着。古い日本家屋だが、旅館だけあり広い。床が傾いていて、頭を上がっている方にしないといけなかったが、食事は内容がよくおいしかった。

清水大師                           峠の途中より宇和島湾を望む

歩き四国遍路 23日目

平成19年4月25日(水) 天候曇り後晴れ 第四十番 歩行距離26km 旅館きさらぎ泊

 国道56号線を宿毛へ向かい歩く。途中でお遍路をやめるなら宿毛まで、と言われていた。しかし、ここまで来たからには、松山までは歩こうと思っていた。

 宿毛を出ると松尾峠越えとなるため、コンビニで昼食を購入。峠への道へ入る。途中から急な上り坂となり、峠で待ち合わせ、それぞれのペースで歩く。10:30に峠に到着、菩提の国愛媛県に入った。古い県境の石碑があり、昔を偲ぶことができる。

 つらい下り坂を下りると、一本松という所に到着。そこから県道299号と国道56号を歩くルートに分かれる。距離が短そうな国道を選び歩くが、休憩する所が全くなかった。歩いていると、最近顔見知りになったドクターが、道端で休憩をとっており、ご一緒する。こんな座る所もない道端での昼食休憩は、この時くらいだったと思う。

 観自在寺は、一番札所より最も離れた所にあるので、四国霊場の裏関所と言われている。この国も無事歩くことができるよう、お参りをする。

 早めに宿に到着したので、帽子とお疲れビールを買いにでかける。お宿は広かったが、お遍路は私たちだけで、あとは団体の釣りのお客さんだった。食事もその方たちに合わせてか、揚げ物が多かった。

松尾峠、県境の石碑                    松尾大師









観自在寺山門

歩き四国遍路 21日目

                  
平成19年4月23日(月) 天候雨のち曇り 歩行距離28km 民宿久百々泊

 朝から雨で、今までにないくらい朝から膝の調子が悪かった。そして腰痛もあり、歩き始めてすぐ母に遅れをとるが、歩くしかない。

 帰りは岬東側の県道27号線を歩く。家のほとんどない道を、遅れ遅れで歩く。母に「バスを使うか。」と言われるが、次のバスがいつ来るか分からないような田舎である。とにかく歩く。

 津呂という所にお接待所があり、コーヒーをご馳走になる。テントを張ったりできるようになっているそのお接待所には、たくさんの納め札が貼られている。こんなにたくさんの人が訪れたんだなと、感動する。
 再び歩いていると、反対方向から名古屋の男性が歩いて来る。このお遍路を始めたころ、母に歩き方を教えてもらっていたその男性は、足を痛め、高知県の手前の宍喰町で会って以来、2週間ぶりの再開である。車のお接待をうけたりしながら、なんとか歩いてきたとのことである。お札を交換し、お互いの無事を願い、別れた。

 以布利に入ると、遍路道から出てきた男性が、「この先に蝮がいる。」と教えてくれる。この男性も、以前焼山寺への遍路道で会ったことのある方で、その時足を痛めていて、それ以来の再開であった。

 最後に歩きたかった大岐海岸の砂浜を通り、午後2時過ぎに宿へ到着。荷物を置き、明日の行程を歩く。2時間後に女将さんが迎えに来てくれることになっていた。この時は、天気も良くなっていて、荷物がないせいか、結構気持ちよく歩くことができた。

ここまで来たぞ(^-^)

歩き四国遍路 22日目

平成19年4月24日(火) 天候曇り 第三十九番 歩行距離25km 民宿嶋屋泊

 久百々の女将さんにおにぎりのお接待をいただき、更に昨日歩いた所まで送っていただく。感謝、感謝。県道21号線を三原村に向かって歩く。村まで民家もほとんどない道で、トイレ休憩できる所がなかった。

 村に入ると神社がある。トイレがあり、お参りをして昼食がてら休憩をとる。しかし、この神社の境内に、同じお宿のお接待のゴミが落ちていた。残念なことだ。

 この山間部の村に一つだけ遍路宿がある。その前に小屋があり、そこで休憩をとる。その先の三原村いこいの森の休憩所で、休憩をとった時、ずっとかぶってきた帽子を忘れてきたことに気づいた。あー、さようなら。

 修行の国最後の札所延光寺(写真)で、2日振りの参拝をすませ、門前のお宿に入る。門前には3つお宿があり、両親が利用したお宿に今回も宿泊した。娘さんの代になり、雰囲気が変わってしまったようである。別のお宿でも、このお宿は以前はよかったのに、という噂を聞いた。時代の流れである。

歩き四国遍路 20日目

平成19年4月22日(日) 天候曇り時々雨 第三十八番 歩行距離24.2km 民宿足摺八扇泊

 金剛福寺打ち返りをすると40kmあるため、計画の段階で断念。この日は女将さんのおすすめで、足摺岬の西側を通り、灯台と鳥居を見るルートを歩くことにした。

 大岐海岸への道しるべを見落とし、町の中を歩き、土佐清水の町へ出る。日曜であり、足摺黒潮市場は結構な人である。荷物を増やすことができないので、ほぼ素通りし、遍路道へ入る。
 女将さんお勧めの岬展望台に到着。あいにくのお天気で、風が強く、雨もぱらついていたが、それが一層太平洋の荒波となっていた。そんな天気の中、お宿のお接待のおにぎりを頂く。感謝。

 県道を歩いていると、反対方向から、福山の男性と宮城の女性が歩いて来る。もちろん打ち返りで、来た道を戻りたくないから、帰りは反対の道を歩いているとのことである。これで完全に1日の差がつくので、もう会うことはないだろう。お互いの無事を願い、別れる。

 金剛福寺では、歩き遍路へお守りのお接待ある。感謝。参拝の後、足摺岬から太平洋の荒々しい海を眺め、ここまでほぼ歩いて来ることができたことに感動した。


金剛福寺境内の亀                   足摺岬からの荒々しい太平洋       

歩き四国遍路 19日目

平成19年4月21日(土) 天候晴れのち曇り 歩行距離31km 民宿久百々泊

 民宿の名の通り、日の出が綺麗とのことだが、あいにくの曇り空で朝日は拝めず。宿を出発して歩いていると、民宿S荘から顔見知りのお遍路さん4人が出てきた。うち一人は宮城の女性である。その宿は、外から見てもカーテンが破れているのが見える。外見通りのお宿だったようで、その話で盛り上がった。
 
 四万十川のたもとのコンビニでは、土曜ということもあり、お遍路さんを含め、たくさんの人がいる。四万十川は、2年前まで(今からでいうと4年前)は渡し船で渡っていたが、今は車と同じ四万十大橋を渡る。広く大きな流れに感動しながら渡る。
 目標にしていたうどん屋さんに到着すると、横浜の男性が昼食をとっていたので、ご一緒する。そこでは、たまに食事に来るという男性が、私たち4人分を”お接待”で支払ってくださった。感謝。以前お遍路を歩かれたことがあるとのことであった。

 真念庵で横浜の男性と再開、一緒に出発したが、私たちよりもあと3km長く歩かれるために、先へ行かれた。この次の日から、私たちは第三十八番で1泊し、他の方は1日で打ち返りをされるため、1日の差ができてしまうのである。
 久百々さんは、元気のよい女将さんが印象的なお宿である。10名近くの方が宿泊されていて、食事中に、打ち返りの方たちが戻って来られた。

つつじが満開                        高知ではこんな道しるべも









お宿からの太平洋

歩き四国遍路 18日目

平成19年4月20日(金) 天候晴れ 歩行距離31km 民宿日の出泊

 第三十七番岩本寺から第三十八番金剛福寺までは四国遍路最長95kmある。高知では参拝のない日が珍しくない。修行の道場たる所以である。

 岩本寺本堂の天井(写真)をもう一度見て、出発。この日も国道56号線を歩き始め、市野瀬遍路道に入る。ここは結構急な所もあり、一昨日の雨のため、所々ぬかるんでいて、私は転んでしまった。難所である。
 山間の国道を延々と歩いていると、佐賀温泉に到着。この温泉は歴史があり、まだ開店しいなかったが、風呂に入っていくというお遍路さんまでいた。

                        土佐佐賀の遍路道を歩いていると、熊井隧道(写真)を通る。これは一見の価値あり。そして、昼食ができるところを探して歩いていると、ある喫茶店から顔見知りのお遍路さんたちが呼んでいる。私達もご一緒させてもらった。男性一人でされているこのお店は、なかなかの”ランチ”だった。食事をしていると、横浜の男性が通りかかり、呼び込む。ここまで、これだけ通し歩きの方が一緒に歩いているのは珍しいだろう。

 この町を抜けると、海岸線に出る。途中、お接待所でお茶とお菓子を御馳走になり、宿に入った。民宿ながら、設備やお部屋はなかなか綺麗だった。この日は、千葉の男性と晩酌をさせていただいた。

歩き四国遍路 17日目

平成19年4月19日(木) 天候晴れ 第三十七番 歩行距離30km まるか旅館泊

 前日の雨のため、旅館の方より焼坂峠は避けた方がよいとのアドバイスがあり、国道56号線を歩き始まる。みんな同じ時間に出発したのだが、お遍路さんたちが一列に歩く姿は、”巡礼”そのものである。

 土佐久礼に差し掛かり、そえみみず遍路道と、大坂遍路道に分かれる。現在高速道路建設のため、そえみみず遍路道は通行できないらしい。母曰く、そえみみずの方が眺めが素晴らしいとのことだが、選択の余地なく大坂遍路道への道を進む。
 大坂谷川沿いを歩くルートは、気持ちよく歩くことができる。ただ、途中で高速道路建設のため、山が無残にも削り取られていたり、大型トラックが行き来していた。次に歩きに来る時は、随分変わってしまっているのかな、と思った。
 
 この遍路道は、最後に1kmの七子峠を上る難所がある。でも、ここを上りきったあと、峠から歩いてきた道を見下ろすと感動する(写真)。峠では10人ほどのお遍路さんたちが休憩していた。一人宮城の女性の方は、ずっと国道を歩いてきたとのこと、すごい。
 岩本寺門前には旅館がいくつかあり、旅館組と宿坊組に分かれる。私たちは旅館に向かう途中、2回目の荷物の送り返しをして、宿に入る。広い旅館だが、宿泊客は私たち以外に車のお遍路さん1人。でも次の日の朝食の準備は、10人分くらいしてあり、へんなかんじだった。


高速道路建設中                       岩本寺参道

2009/04/19

歩き四国遍路 16日目

平成19年4月18日(水) 天候雨 歩行距離30km 岬旅館泊

 この日は雨、出発から雨具の装着である。私たちは足のことを考えて、宇佐大橋(写真)のたもとまでタクシーを使う。とりあえず、札所までは歩いているので、よしとする。

 ここからは、浦ノ内湾を囲むように、県道23号線と47号線を通るルートがある。今回私たちは23号線を通った。何もない海岸を歩き、途中民宿を兼ねたコンビニで休憩買い物をする。そこからも、県道23と314号線に分かれるが、23号線を進む。47号線が合流し、途中に遍路小屋がある。そこで昼食にする。そこは、トイレも利用できるようになっている。

 須崎市の通る時、地図上の遍路道は通行できず、街中を歩く。番外5番大善寺の前を通り、道の駅かわうその里すさきに立ち寄る。この日歩行距離は長いが、アップダウンがないため、意外と歩くことができていた。
 この日も、顔見知りのお遍路さんたちと同宿。初めて同宿になった東北の高校生?が、この日でいったん遍路を終え帰るとのことで、話が盛り上がっていた。

歩き四国遍路 15日目

平成19年4月17日(火) 天候晴れ 第三十四番~第三十六番 歩行距離30km 国民宿舎土佐泊

 種間寺まで、他の同宿の方たちとほぼ同じペースで歩く。通学途中の小学生が「お遍路さんがんばってください。」と声をかけてくれる。お遍路中、学生さんたちが自ら挨拶をしてくれることが、よくあった。良い風習だと思うし、心強い。

 遍路中、いろんな道しるべがあり、それも楽しく、頼りになる。

 種間寺は道沿いにあるが、山門がなく、一見わかりにくい。次の清滝寺までは、仁淀川を渡り、土佐市内を通る。引き返すような形で、市内を通り、県道39号線を青龍寺へ向かう。

 途中ちょうどいい所に休憩所があり、そこで車道と山道の遍路道に分かれる。休憩所で横浜の男性と宮城の女性と出会う。先に行ったお遍路さんたちは、山道へ行ったとのこと。私たちは無理せず、車道を歩く。
 海岸沿いに出ると、宇佐大橋が見えてくる。この日は歩行距離が長く、このころになると私の足は、重く痛く、遅くなっている。宇佐大橋のたもとで、足のケアを行い、出発。この橋は私も含め高所恐怖症の人には、恐怖だと思う。

 青龍寺からお宿までは急な登り道となるため、私たちは無理せず、宿のマイクロバスを利用する。歩く者は荷物をバスに乗せて、上って行った。
 国民宿舎土佐からは、室戸岬から足摺岬までを見渡せるロケーションにある。特に夜の露天風呂からは、歩いてきた道を点々と灯された明かりで、見ることができて、感動した。この日も、顔見知りの同宿の方が複数で、盛り上がった。
清瀧寺境内                         青龍寺石段

歩き四国遍路 14日目

平成19年4月16日(月) 天候雨時々曇り 第三十一番~第三十三番  歩行距離16.8km  高知屋泊

 この日は朝から雨で、雨具を着ての遍路となる。雨具は着ると暑く、脱ぐと寒く、体力を消耗する。
 第三十一番竹林寺は、歩いて行くと、牧野植物園の中を通る。雨の中つつじなどの花が綺麗だった。竹林寺(写真)は紅葉の美しい五台山にあり、境内もそんな趣きである。秋にも訪れたいところである。

 次の禅師峰寺の境内からは、土佐湾を見下ろすことができる。禅師峰寺から雪渓寺までは、静かな街中を歩く。あまりお店がなく、喫茶店で昼食をとる。
 天気が良ければ、桂浜の方を回るつもりだったけど、天気が悪く、浦戸湾をフェリーで渡ることにする。しかしフェリーは出た後で、1時間待つことになった。
 
 この日のお宿は雪渓寺門前にあり、、建て直しをされた、とても奇麗なお宿である。女将さんと娘さんたちが、本当に心温かいもてなしをしてくださった。お洗濯をお接待していただき(アイロンつき!)、感謝である。顔見知りの方も含めて10数名が同宿で、賑やかな夕食だった。

牧野植物園                       国が変われば道しるべも変わる

種崎フェリー乗り場                   禅師峰寺境内