2009/05/30

わんこのシャンプーの後


  最近自分が引っ越しをしたりして忙しかったけど、ようやく落ち着き、久しぶりに(といっていも、私の久しぶりは2週間ぶりだけど・・・(#^.^#))実家に帰った。まずは、うちの癒し犬たちにごあいさつ。なっちゃんにハグしていると、やよちゃんが邪魔をしにくる。とにかく、かわいい(*^_^*) 親ばかでいいのだ!!

 でも、アトピーのある私はこんなにも犬が好きなのに、犬アレルギー(;一_一) 嫌がるわんこ達を風呂場へ入れ、ダブルシャンプーをした。おつかれさま(^-^)

2009/05/29

歩き四国遍路 回顧録1

 今日は平成21年5月29日。四国遍路を2年前の桜満開の時期に歩き始めて、一周し終わった時は、すっかり夏めいてきていた。四国一周は歩いてみると長かったけど、歩いてよかった。自分の中で、何かが変わったのは確かだから。
 歩いている間、しんどい、やめたい、と思ったことはあったけれど、やはり最後まで歩くことができたのは、母と二人で歩いたからだ。そして、本当にたくさんの出会いがあり、励ましてもらった。感謝である。また機会があれば歩きたい。母ではないけれど、私もお四国病になっているのは確かかもしれない(*^_^*)。
 お大師様、また健康に歩くことができるように、見守っていてください

2009/05/27

歩き四国遍路 48日目

平成19年5月20日(日) 天候曇り時々晴れ 

 朝6時、お勤めに参加する(おそらく必ずしなけらばならない。)。40分ほどでお勤めが終わり、朝食の部屋へ案内される。宿泊客のうち私たちだけが、部屋食ではなかった。おそらくお値段の差である。(写真:宿坊宝善院入口と庭園)

 身支度をして、奥の院へ出発する。奥の院の参道は、常に霊気を感じる。数々の武将や大名たちの墓石を眺めながら歩いていると、四国で最後の方に出会った、女性の一人歩きの方とばったり出会ったのである。一昨日高野山に到着し、2泊してこの日関東へ帰るとのことであった。ここでもまた、出会いがあった。

 御廟橋の前の水向場では、外国人を含むたくさんの人たちが、14体の仏像に水を手向けていた。御廟橋を渡り、まず燈籠堂で参拝をする。そして御廟の前へ行き、今回も四国遍路最後の参拝をする。周りには、涙を流しながら参拝している方もいる。私もぐっときたが、ここはこらえて参拝を済ませた。一番心を込めて。

 納経を済ませて、高野山大師教会本部(だったと思う)で、受戒を申し込む。そこで、お遍路で出会ったお坊さんを尋ねると、忙しい中会いに来てくださった。もうすぐ修行が終わり、地元へ帰るとのことであった。
 
 高野山で昼食をとり、帰路につく。ケーブルで山頂から降りると、気温差を感じた。あとは自宅へ帰るのみ。

 自宅に着くと、お留守番組が出迎えてくれた。忘れてないよね、なっちゃん、やよちゃん。あと忘れてはならない、お父さん。お留守番本当にありがとうございました。感謝。
 

歩き四国遍路 46・47日目

46日目 平成19年5月18日(金) 天候雨後曇り 歩行距離

 第二番極楽寺を目標に出発。母は全て歩いたが、私は途中バスを利用した。極楽寺で四国最後のお礼をする。納経所では、白衣に朱印をお願いすると、お接待してくださった。感謝。
 徳島には父の実家があり、その叔母の家でお世話になる。ご先祖様のお墓参りを済ませ、お仏壇に四国遍路無事を報告した。これからもよろしくお願いします。

47日目 平成19年5月19日(土) 天候晴れ 高野山宝善院泊

 徳島駅まで送ってもらい、高速バスのチケットを購入し、時間があったので、お土産を買った。
 土曜日であり、高速バスは徳島市内で満席となった。2時間半であっけなく難波に到着。南海電車で高野山へ向かう。
 高野山は世界遺産に登録されたためか、以前より外国人を多く見かけた。山の上は涼しい。奥の院への参拝は明日にしていたので、宿坊に入りゆっくした。
 高野山には、弘法大師が開いた真言宗の総本山金剛峰寺があり、四国遍路の締めくくりとして参拝する。本当は山の下からでも歩きたかったが、足の疲労を考えて、電車バスを利用した。
 いよいよ明日、聖地高野山奥の院で、最後の参拝をする。

 

2009/05/15

歩き四国遍路 45日目

平成19年5月17日(木) 天候晴れ 歩行距離28.4km 御久田屋泊

 今更ながら、このお遍路記は2年前のものである。
 結願を迎えた次の日、私たちはお遍路を円にするために、第十番切幡寺を目指すことにしていた。九州の男性たち同宿の方は、コミュニティバスを使い、志度へ戻る方が多かった。

 同宿の方、お宿の方にお礼を言い、出発。5km程で香川と徳島の県境を越え、阿波市に入る。日関谷川沿いの道を歩き、私はもう交通機関を使いたくなっていた。この道はバスが通っているが、バス停に到着しても、1時間に1本も走っていないようで、バス停で休憩して、とにかく切幡寺までは歩くことにした。

 徳島自動車道を越えると、懐かしい?風景が広がっている。切幡寺と藤井寺へ向かう四つ角に到着、切幡寺へ一礼をする。とにかく帰って来たのである。

 この日の昼食は、旅館八幡で予定していたので訪れてみたが、定休日だった。少し思案して、出発しようとすると、お店の方が戻って来られて、声を掛けてくださった。2日目の4月4日に宿泊し、四国を1周してきたことを話すと、店の中に入れてくださった。「何もなくて申し訳ありませんが、お接待です。」と、おにぎりを作ってくださった。こんな縁がたくさんあったように思う。たくさんの方、出会いに、本当に感謝である。

 この日のお宿は素泊まりで、天然温泉御所の郷へ送迎してくれる。私たちは先に温泉へ行き、宿へ連絡を入れて、ゆっくり温泉に入る。夕食後に迎えに来てくれて、宿に入る。
 このお宿は、一緒に歩いていた人たちから噂を聞いていて、楽しみにしていた。まだ新しく、四国遍路が好きなご主人が経営されているようだ。これからお遍路へ出発する20代の女性の方が、ご主人や母にお遍路のことを教えてもらっていた。がんばって!

2009/05/10

歩き四国遍路 44日目

平成19年5月16日(水) 天候晴れ 第八十七番~第八十八番 歩行距離19.3km 門前八十窪泊

 お宿でおにぎりのお接待をいただき出発、感謝。長尾寺までは、高速道路をくぐり、緩やかな坂道を上る。途中の休憩所で九州の男性と出会う。「いよいよ今日ですね。」と話す。
 そこから長尾寺までは静かな住宅の中を歩く。平坦な境内の長尾寺は、現在工事中であった。

 長尾寺からは県道3号線を鴨部川沿いに歩き、女体山を通る道と、それを避ける道に別れる地点にさしかかる。左に折れ、前山おへんろ交流サロンに到着した。
 そこで「四国八十八ケ寺遍路大使任命書」をいただく。最近は3000人を超える人が、区切りも含めてお遍路歩いているのである。一緒に歩いてきた方たちが、無事ここを通過したのことを確かめることができた。ここで九州の男性たちと、お接待のおにぎりをいただき、女体山越えにそなえる。
 山頂までの険しい上りの岩山は、結願に向かうにふさわしい道である。慎重に上っていく。上りきった後は、札所まで下りである。途中に休憩できるような場所があり、母を待つ。母は踵を痛め、この日は調子が悪かった。
 寺の裏から入ることになってしまうのだが、一度山門へ行き、一礼する。最後の読経に熱が入った。私たちは、また歩くつもりで、御杖はそのまま一緒に帰ることにした。

 夕食は九州の男性や、顔見知りのお遍路さんたちと宴会だった。お遍路中お酒を断ち、久しぶりに飲まれた方、高野山で修行中の僧侶の方、なんと3月3日から2巡した方もいた。人それぞれのお遍路が終わったのである。

女体山越えへ                       一歩一歩慎重に

歩き四国遍路 43日目

平成19年5月15日(火) 天候晴れ 第八十四番~第八十六番 歩行距離21.9km 栄荘泊

 市街地をぬけ、屋島寺への遍路道に入る。登り口の手前に公園があり、休憩をとっていると、九州の男性が追い付いてきた。この頃、30歳くらいの女性の一人歩きの方を見かけることがあったが、この方はご家族の供養のために歩いているとのことであった。本当にいろんなお遍路がある。
 屋島寺までの上りは急な坂道だが、地元の方の散歩道にもなっているようである。遍路道どおりに旧ホテル後まで行き、そこからの下りは危険度No.1である。座りながら下りなければならなかった。この道を避けるため、上って来た道を下りて歩くコースも示されていて、それくらい危険である。
 壇の浦を見下ろしながら下り、河口を渡ると、ほどなくお目当てのうどん屋山田本陣に到着する。
 八栗寺まではケーブル沿いの道を上る。境内には顔見知りのお遍路さんたちが、今日同宿ということで、話が盛り上がっていた。

 私は下りを避けるために、母と別れてケーブルを利用し下山。そこからは平坦な道なので、ひとりで歩く。自転車のお遍路さんに話しかけられたり、郵便局に寄ったりして遅くなったのか、既に志度寺に到着した母から電話がかかってくる。母より1時間遅れで到着し、待っていてくれていた母と参拝を済ます。あと札所2つである。

 この日のお宿は以前両親が利用して、気に入っていたので再度宿泊させてもらいました。

屋島寺にある太三郎狸           屋島寺側遍路道より見た八栗寺のある五剣山









志度寺境内

歩き四国遍路 42日目 

平成19年5月14日(月) 天候晴れ 第八十一番~第八十三番 
歩行距離母28.5km 私18km BHイーストパーク栗林泊

 朝、女将さんから遍路道の説明があり、歩き始める。目の前には五色台の山が聳えている。中腹の休憩小屋で、最近よく出会う男性のお遍路さんが休憩していた。
 そこから更に上り、車道に出ると、白峯寺への道を歩く。山道のこれぞ遍路道、という感じの道である。

 根香寺までも、山道の遍路道で気持ちよく歩くことができる。根香寺(写真)は紅葉が綺麗なお寺だが、この季節は緑が美しい。

 そこからの遍路道は車道を含む下りで、膝にダメージがくる。5kmの下りを2時間かかってしまったので、歩けないと判断。私はJR予讃線を使い一旦高松市へ出て、琴平電鉄で一宮寺へ向かう。6km歩いてきた母とほぼ同時に札所に到着した。そこからもBHまでは5km歩くため、私は電車を利用した。
 夕食は近くのファミレスで済ませ、明日の朝はマックである。



五色台から下り                        一宮寺山門

歩き四国遍路 41日目

5月13日(日) 天候曇り後晴れ 第七十六番~第八十番 歩行距離26.7km 
門前えびすや旅館泊

 この時期讃岐平野では、黄金の小麦畑を見ることができる。これがおいしい讃岐うどんになるんだろうな、と思いながら歩く。金倉寺(写真)、道隆寺まではそんな道を歩き、その後丸亀市内を歩く。

 市内できっと讃岐うどんの店があるだろうと歩いていると、11時前なのに、結構お客さんの入ったお店をみつけ、小腹を満たそうと、入ってみる。とても美味しく、結構量があったので、これが早めの昼食となった。

 郷照寺にはとてもおとなしい老犬がいて、癒される。高照院までは坂出市の商店街の町中を歩き、八十場の水に到着。ところてんを食べる。
 高照院から綾川を渡った所にあるコンビニで、休憩をするために立ち寄ると、高知の久百々で同宿となった、逆打ちの男性と出会ったのである。挨拶をしただけだったけれど、私はこの出会いに感動した。

 第八十番国分寺は昔の礎石が残っている境内で、落ち着いた気持ちになることができる。でも「あーあと8こか・・・。」と、少し寂しくなった。
 この日のお宿は、女将さんが丁寧なおもてなしをしてくださる、落ち着くお宿である。感謝。宿帳を見せてくださり、前日に横浜の男性、9日に高知の間一緒に歩いていた千葉の男性が宿泊していた。この日は宮城の女性から、昨日無事結願した、とのメールが入った。みんな確実に歩いている。



国分寺境内                       郷照寺山門

歩き四国遍路 40日目

平成19年5月12日(土) 天候晴れ 第七十番~第七十五番 歩行距離23.7km 善通寺グランドホテル泊

 本山寺までは順調に歩くことができたが、弥谷寺までの国道11号線では、昨日の下りのダメージが大きく、母から遅れて歩く。朝から遅れると、昼も遅れるので、私だけJR予讃線高瀬駅から三野駅まで電車を使うことにした。国道から駅まで700mくらい、結構歩くのだが。
 三野駅からタクシーに乗り、弥谷寺に到着したとき、駅のタクシー乗り場に御杖を忘れてきたことに気づく。引き返してもらい、無事御杖を手にして、再び寺へ。

 歩いてくる母を30分ほど待ち、俳句茶屋で昼食をとる。すると、茶屋の方が荷物を置いて行っていい、という。感謝。「いやいや上る弥谷寺」と言われ、下から上の本堂まで合計540段の階段を登らなければならないので、助かる。一番上の狭い本堂の境内で、団体さんに交じり参拝する。

 そこからは札所間の距離が短いので、気を紛らわして歩くことができる。曼荼羅寺、出釈迦寺はすぐ近くにあり、甲山寺も2.2kmほど。歩いているとお遍路さんを乗せた大型観光バスに追い越される。

 そして弘法大師出生の地、善通寺に到着。ここはさすがに、お遍路さんに限らず参拝客が多い。そして東院と西院のある境内は広く、壮大である。四国遍路結願に向けて、祈願した。

五重塔が象徴的な本山寺境内             弥谷寺山門


出釈迦寺参道 後方に我拝師山            善通寺境内

歩き四国遍路 39日目

平成19年5月11日(金) 天候曇り後晴れ 第六十六番~第六十九番
歩行距離24km 晩翠旅館泊

 朝食の時ご主人から、四国遍路最高峰の雲辺寺までの、道の説明があった。また来るのでお宿を続けていてください、とお願いして別れる。

 高速道路をくぐると、一気に上りになる。途中から車道に出るが、さすがに標高927mに上るとなると、きつい。でも、札所に到着した時はさすがに感動した。雲辺寺の境内は広く、結構歩く。車のお遍路はロープウェイを使ううため、ロープウェイ乗り場からお遍路さんが下りてくる。

 下りは1kmほど尾根伝いを歩くと、香川県に入りそこからは下り(写真)である。この下りは私の膝に大きなダメージを与えた。厳密には、松山の三坂峠からであるが。この道沿いには休憩する所がなく、公民館のような軒下を借りて休憩する。九州の男性以外にお遍路さんと会うことはなかった。

 大興寺では先に九州の男性が参拝を済ませていた。納経所でバナナのお接待をいただき、静かなたたずまいの境内で休憩をとる。感謝。
 次の札所までは平坦な道だったが、とても長く感じた。でも雲辺寺山を眺めながら歩くので、改めて歩いてきた行程に感動することができる。

 この日のお宿に荷物をおかせてもらい、神恵院、観音寺へ巡拝に行く。ここは境内に2ケ寺あるので、得した気分になる。でも神恵院の本堂はコンクリート作りで、少しがっかり。
 観音寺は旅館やホテルが多く、この日は旅館で、広く綺麗でした。
 
雲辺寺大師堂                       雲辺寺の五百羅漢
大興寺山門                         コンクリート作りの神恵院本堂

2009/05/09

歩き四国遍路 38日目

平成19年5月10日(木) 天候雨後曇り 歩行距離18.3km 民宿岡田泊

 雨具を着て出発。戸川公園では、野宿の方が出発の準備をしていた。自転車の方、犬を連れた方、いろんなお遍路がある。
 そこから三角寺までは3kmもないので、9時には菩提の国伊予最後の札所に到着した。73段の急な石段(写真)を登り切り、旅の無事を祈った。

 三角寺からは下りで、番外十四番札所常福寺(椿堂)を目指す。椿堂で九州の男性らと休憩をとり出発。国道192号線を歩く。
 愛媛県と徳島県との県境では、3つの遍路道がある。私たちはお宿の関係で、境目峠を越えるルートを歩く。県境を越え、一日だけ徳島県に入ることになるのだ。

 この日のお宿は、一気に雲辺寺を越えることができないお遍路にとっては、欠かせない所にある。この日もいっぱいで、何人かのお遍路さんは、岡田さんの紹介で民宿白地荘から迎えにきてもらっていた。

 ここのご主人は、エプロンをかけ、食事中給仕をして、話をしてくださる。以前利用した母を覚えていてくれた。また、前日に横浜の男性が宿泊しており、よろしく言っていたと伝言をもらった。やはり追いつけない。
 でも同行二人、最後まで歩けそうである。

古い県境の石碑 徳島に入った。           番外霊場十四番常福寺(椿堂)

歩き四国遍路 37日目

平成19年5月9日(水) 天候晴れ 歩行距離16km 旅館大成荘泊

 距離的に今日、明日を1日で歩くことは可能だが、計画の段階で三角寺の山越え、二人の膝のこともあり、短く設定した。
 番外十二番延命時(写真)への遍路道を歩いていると、道沿いの家から出てきた女性から「お接待です。」と、飴を2袋をいただく。感謝。

 昼ごろには四国中央市(旧伊予三島市)市街地に到着。ファミレスで昼食をとる。お宿の近くまで来ているが、時間があるのでタクシーに乗り、運転手さんに温泉へ連れて行ってくださいとお願いする。運転手さんから、案の定「この時間なら三角寺まで行けるだろう。」と言われてしまった。

 湯の華温泉というところへ連れて行ってくれた。そこは、600円だが塩サウナもあり、ゆっくりすことができた。同じタクシーの運転手さんに迎えに来てもらい、伊予三島駅まで戻り、お宿へ。

 この日のお宿は、建設現場の労働者が宿泊していて、お遍路さんを断っているとのことだったが、以前両親が利用して、母のことを覚えてくださっていて、宿泊することができた。感謝。そして九州の男性と同宿だった。お遍路は私たち3人で、他10名程は工事現場の方だった。

歩き四国遍路 36日目

平成19年5月8日(火) 天候晴れ 第六十三番~第六十四番 歩行距離27.7km 旅館五葉松食堂泊

 吉祥寺、前神寺を打つと、次は第六十五番三角寺なので、この日は歩くのみである。国道を避け静かな遍路道を歩く。前神寺の近くで、本当のお寺の山門はここだと、教えてくれた地元の女性から、500円のお接待をいただく。感謝。

 国道を避け静かな遍路道を歩き、武丈公園で九州の男性と一緒に休憩を取る。この日はとても暑く、こまめな休憩が必要である。

 途中から国道11号線を歩くが、歩道のない所もあり少々危険。国道沿いにあるお宿に到着。普通の家屋、普通のお部屋であるが、綺麗な女将さんが迎えてくれる。宿帳を見せてくださり、前日あの横浜の男性が宿泊したことが分かった。1日遅れ、追いつけない。この日は、他の宿を予約していた九州の男性が、この宿に予約をし直して、3人の宿泊であった。

吉祥寺山門                       前神寺境内 
安心の道しるべ                 地元の方が教えてくれた、前神寺旧山門跡

歩き四国遍路 35日目

平成19年5月7日(月) 天候曇り後晴れ 第六十番~第六十二番 歩行距離20km ビジネス旅館小松泊

 県道147号線まで戻り、横峰寺への遍路道へ入る。一つ目の休憩小屋で数名のお遍路さんが休憩中で、その中に3日目に同宿となり、以後はお会いしなかった九州の男性と再会した。この方は、本当は1年前にお遍路へ出発しようと思っていたとのことだが、都合で今年にしたとのこと。巡り合いである。

 横峰寺への遍路道は、平成16年の台風で平成18年9月まで通行することができなかったが、今はロープや新しい橋が架けられ、歩くことができる。山道を先に上り、山門で母を待つ。雨上がりの後、霧がかかっていて、幻想的である。この時期横峰寺は石楠花の花が綺麗である。

 下りの遍路道は尾根沿いを歩き、石鎚山系を眺こめながら歩くことができる。奥の院経由の遍路道を歩き、これは寺?というような近代的な建物の香園寺に到着。それとは逆に宝寿寺は、少しひなびた感じのする札所である。
 この日のお宿は夕食が豪華で、たくさんいただきました。


横峰寺山門                         横峰寺境内 石楠花が綺麗

2009/05/04

歩き四国遍路 34日目

平成19年5月6日(日) 天候雨後曇り 歩行距離16.6km 湯の里小町温泉しこくや泊

 この日は途中番外札所に行こうと計画していたが、朝からの雨で止めにして、宿へ直行することにした。宿へ連絡すると、時間は気にせず来てください、との返事であった。
 雨具装備で出発、雨はしだいにやんできたが、休憩することが全くない道だった。2時間以上歩いても休憩する所がなく、雨の中縁石に座り休憩するが、雨が降っているので、ぜんぜん休まらない。諦めて歩きだす。

 丹原町に入り、やっとスーパーを見つける。座る所がなかったので、休憩もほどほどに出発。
 この日のお宿は、遍路道から1.4kmそれた国道11号線沿いにあるが、昼過ぎには到着。お宿で、「休憩するところがなかった。」、という話をすると、「それも修行よ。」、とご主人から言われた。確かにそうである。
 このお宿は、ドライブインがあり、錦鯉やつつじで観光客が集まる所のようだ。広い浴場でゆっくりすることができた。

歩き四国遍路 33日目

平成19年5月5日(土) 天候曇り 第五十六番~第五十九番 歩行距離19km ホテル橘泊

 この日と次の日は、横峰の山越えに備えて、距離が短く設定されている。
 ゆっくり出発し、泰山寺へ歩いていると、自転車に乗った男性から、パンとスポーツドリンクのお接待をいただく。感謝。
 泰山寺では、高知の間よく同宿になった、横浜の男性と涙の再会。この方は、ゴールデンウイーク中宿が取れず、大西町のビジネスホテルに3連泊し、電車で移動しながら、歩いているとのこであった。

 札所が多くなると、あまり記憶に残らない寺もある。写真はそんな所。この次の仙遊寺は、歩くとなかなかの難所だが、途中に御加持水をいただくことができる。結構急な下りでは、道を間違えてしまった。

 国分寺で横浜の男性と再会、残りの行程を一緒に歩かせてもらう。もうすでに、第六十二番まで打ち終わっていて、残念ながら私たちとは2日違いになっている。お互いの無事を祈り、別れた。



栄福寺境内                       国分寺境内 握手修行大師








 



















仙遊寺山門 (ここからが結構きつい)

USJ

 ちょっとお遍路から離れて、昨日驚いたこと。

 ゴールデンウイーク中、関東から兄家族が帰ってきているので、USJに行った。人が多いだろうということは、覚悟の上で。

 9時前に駐車場に到着、駐車場はほぼ3分の2ほどは埋まっていて、入口まで15分くらい歩く。チケットを買うのに待ち、入場するまで待ち。


 入場して、とりあえずお目当てのスパイダーマンに向かい歩くと、ETの前辺りで”最後尾”に辿り着く(写真、曲がり角ははるか先^_^;。120分待ちのとこを、90分ほどで乗り、初乗りということもあり、感激した。


 そして次、この5月でさよならとなるETへ。”3 45min”待ちの表示に「3時間45分か。」と並びに行こうとすると、実は「345分(5時間45分)」ということが分かり、断念した。他のアトラクションに乗ったりして、午後2時にもう一度ETの待ち時間を見に行くと、170分、諦めた。

 なぜあんな名作のアトラクションを廃止してしまうのか・・・。私たち世代には信じられないことだ。余談だが、映画ETの「Home」というセリフを、日本語吹き替え版では「おうち」というのが、私はなかなか好きです。