当直明けの日、母とは13:15O-CAT発徳島行きの高速バスに乗ろうと、相談していたが、意外と早く最後の業務が終了したので、1本早いので行こうと連絡を入れて、それぞれが難波へ向かう。
母は3月の阿波の国の続きとなるが、私は・・・新しい生活への区切り?かな、色々考えず、とにかく歩きたかった。特に信仰心が人一倍強いわけではないが、無事に生活できるのも、御先祖様、家族、支えてくれている人たちのおかげを、四国を歩き唱えることで、御礼をしたいと思った。
違う意味では、お遍路より疲れる日常から離れたい(ある意味逃避)という気持ちもある。自分がなぜ四国を歩くのか、たくさんの理由がありすぎて上手く表現できなけれど、非日常に身をおくことで、自分の中で何かが変わる思っているのか・・・。永遠のテーマかも。
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母と12時過ぎに難波で合流して、12:15発の高速バスに乗ることができた。当直明けの私は、バスの中ですぐに爆睡。気付いた時には、鳴門を通過中。
徳島駅の近くの郵便局で、職場でいただいたお祝いの品などを送り返し、JR牟岐線に乗る。ここでもほぼ爆睡。
時々目を覚ますと、学生がたくさん乗っていて、”不便な列車(ディーゼル車)を使ってるんだなー。”などと、余計なお世話なことを考えていた。
薬王寺前の古いへんろ石
17時半頃日和佐に到着。もっと早ければ薬王寺を参拝したのだけど、間に合わず。門前で写真を取り、今回の”結願寺”へ、いつかまた来ると、心の中で祈った。
きよ美旅館は、食事が海の幸がたくさん豪華で、今回も利用させていただく。母は3月の最終日にも利用しているので、3回目である。
本館と別館があり、お遍路は別館に宿泊。この日は、男性の1人歩きの方のみ同宿のよう。晩御飯はすれ違いとなったが、次の日の朝食の時、話をすることができた。
70代前半関東のこの男性は、一度通しのお遍路され、今回は番外札所も巡る区切りお遍路をされているとのこと。今回は私たちと同じくこの日が出発、高知の第三十一番竹林寺まで歩かれるそうだ。年齢より10歳は若く見える方。すごい。
とにかくこの日は睡眠を取ることに専念。早々に床についた。
お遍路の元気の源、朝ごはん。生卵ではなく目玉焼き。
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