2010/06/01

平成22年修行の旅 その6

平成22年5月15日(土) 晴れ

6:00 宿出発 → 7:30 4.4km 道の駅大山  8:30 8.0km

伊尾木  9:30 9.5km 安芸駅 ⇒ 10:00 夜須駅 ⇒ 11:20 
後免駅 12:35発  特急南風 ⇒ 13:40 阿波池田 特急剣山 ⇒ 
14:50 徳島駅着 ⇒ 15:30 徳島発高速バス ⇒ 18:30 難波OCT着
歩行距離 9.5km (⇒は電車バス移動) 12,974歩






 出発前の計画では、この日、香南町赤岡までの28kmを歩き、そこで打ち終える予定だった。そこから列車を乗り継ぎ、徳島へ移動、1泊し奈良へ帰ることにしていた。


 そのため、特急の時間に合わせ、6時出発にしていたので、昨夜のうちにお遍路さんたちとは、別れを告げていた。



 5時に起き、6時少し前に宿を出発、食堂へ上がると女将さんがおられるようだったので声を掛ける。御主人もおられて、二人で見送ってくださった。女将さんが二人分のおにぎりをもたせてくれた。感謝。再開を願い別れた。


 御主人は、おそらく私たちが見えなくなるまで、外へ出て見送ってくれていたのではないだろうか。




            平成へんろ石



 早朝、土曜日の国道はまだ車も少ない。まだ涼しい中を歩き始めるが、母の調子が悪い。朝からケアした膝に痛みがあり、普通に歩くことができない。


 私はいつも予防的に、朝鎮痛剤を飲んで出発する。母はこの朝飲んでいないと言うので、自販機をみつけ、とりあえず薬を飲む。



 しかし、そう簡単に効くはずもなく、母のスピードはあがらない。私は、逆に何の故障もなく歩くことができていた。



 国道55号線沿いには、ごめん・なはり線があり、時々1・2両編成の列車が通る。


 右手の山の急斜面には、手入れのされていない枇杷畑が多数あった。手入れがされていると、白い紙袋が実にかぶされていて、遠目に見ると、花のように見える。

            急斜面の枇杷畑



 道の駅大山に先に到着した私は、母を10分ほど待つ。膝の痛みは変わらず、辛そうだ。きんしょうの女将さんが作ってくれたおにぎりを食べながら、これからどうするか話した。



 母は結構ギブアップぎみで、電車を使おうかな、という。引き返した方が近いが、3km先に次の駅があると言うと、そこまで歩いてみると言う。



 話をしているうちに、同宿だった福岡の男性が追いついてきた。「きんしょうの御主人が、お母さんはちょっときついのではないか。」と言っていたと教えてくれた。


 この先は防波堤を歩く遍路道あるが、福岡の男性は国道が一番確実と国道を歩かれ、私たちも万が一に備え、国道を歩いた。福岡の男性としばらく話しながら歩き、お互いの無事を祈り別れた。



 伊尾木に到着。母が電車に乗るというので、駅へ行った。こじんまりとした無人駅。時刻表を確認すると、1時間以上電車は来ない。歩こうということになったが、母の足の負担を減らすために、私が荷物を少し引き受けるというと、そんなことはしなくていいと言う。


 押し問答の結果、母の荷物を一部私が引き受け、とりあえず安芸市街地まで歩き始めた。安芸市は龍馬伝に出ている岩崎弥太郎の出身地であり、たくさんの看板があった。が、私たちにはそれらに立ち寄る余裕はなかった・・・。



 歩いていると、きんしょうで同宿の足を痛めておられた男性を追い越した。ゆっくり歩いておられる。昨日の御礼を言い、別れる。



 母は、平坦な道なら、まあ歩くことはできたけど、歩道が少しでも斜めになっていると、膝に負担がかかり、痛みがはしり、もう普通には歩くことができない。荷物を減らしても、道の傾斜があるかぎり、これ以上は無理だと言う。

 安芸市街地へ入り、駅の表示が見え、母を振り返ると、右へ曲がれと示す。ここで、今回のお遍路は区切り終えた。

   阿佐線ごめん・なはり線安芸駅に到着すると、ちょうど後免行きの電車があり、乗りこむ。車内で白衣を脱いだ。
 母は「くやしい。」と繰り返した。電車は、本当は歩く道の上を走っていた。

 この日の最終地点と考えていた夜須駅でいったん下車。大阪への高速バスの予約を今日に早めることができたので、今晩泊のホテルをキャンセルする。


 道の駅で買い物をしていると、お遍路さんどちらから?と話かけてくれる。地元の方の温かい声掛けにほっとする。

























 安芸から列車に乗りました。


 
 夜須駅から後免行きの電車に乗っていると、金剛頂寺で同宿の大阪の女性が声を掛けてくれた。「お遍路さんがいるなと思い、ふと見ると知っている顔だった。私は足が痛いので、今日は朝から電車で移動している。」、とのことであった。第二十八番大日寺を打ち、列車で後免まで移動、これから第二十九番を打つとのこと。


 私はこの偶然のようでそうでないような出会いに、感動した。私たちが計画通り歩いていれば会うはずもない相手、相手が歩いていて、私たちが列車にのっていれば会うはずもない相手に、お互いが列車を利用していたので、最後に出会ったのである。お遍路ではこんな出会いがある。



 後免駅で徳島までの特急の切符を買い、1時間20分待ち時間がある。駅前には食事ができそうな所はない。少し歩くとスーパーがあった。昼食+ビールを買い、駅で待つことにした。

 駅で私はおつかれのビールをいただき、母は「くやしい、くやしい。」と繰り返していた。


         後免駅に特急が到着


                   *          *          *


 今回のお遍路はここで終わり。

 私にとってのお遍路、3年前は本当にこれからの人生をどうするか、ただ考える為に歩いた。それは、幸運にも、時間と健康と歩くだけの費用があったからだ。


 この歳で四国を通しで歩くことは、そうできるものではない。

 今回は、今年母が古希を迎え、お遍路をするにあたり、それに便乗した。日も短かったけれど、母は一緒に歩いてくれた。


 古希の区切りのお遍路を、徳島は息子と、高知の一部を娘と歩いた母は、年内の結願を目指している。







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